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中越沖地震 原発は大丈夫なの? 新潟県 五十嵐恵美子 |
お見舞い、ありがとうございました。
幸い、わが家は柏崎から70キロほど離れており、被害もありませんでした。縦揺れのあと、横揺れが40秒くらい続いたでしょうか……。
ただ、すぐ気になったのが、原発のことでした。テレビをつけても、地震直後の屋上カメラからの映像や電話での被害状況、交通機関や道路の通行止めの報道ばかり。東北電力の問い合わせ先はわかるのですが、肝心の東京電力のそれはわからず、どこに聞けばいいものやら……。
そうこうしているうちに、11時半ごろだったでしょうか、地元の放送局が県原子力安全委員会からの情報ということで、柏崎原発3号機の屋外に設置されている変圧器の火災の模様と東電職へのインタビューを報じ始めました。
「消防車はまだ到着しておらず。職員が対応(消火ではないのか?)している。放射能漏れはない」とのことでした。発生後1時間以上も経っているのに、道路状況のために消防車が到着できないのか、他にも原発の被害はないのかなど、もっと知りたいと思うのですが、それ以上のことは何も報道されませんでした。
ホッとすると同時に、なぜ、テレビは原発の被害状況を取材しないのか(ヘリコプターから倒壊した家屋の様子は映し出されていましたが)。その疑問が徐々に大きくなっていくと同時に、腹立たしくもありました。
もし、大きな事故が起こっていれば、新潟市に住む私たちにも影響は及びます。目には見えない放射能の被害の規模は、量・質とも地震の直接的な被害と比べようもありません。
日本に55基ある原発と地震の活動期に入っていることを考えると、どの地域にもいつでも大きな被害は起こります。(隠し切れなくなったのでしょうか)日を追うごとに明らかになる柏崎刈羽原発の被害状況、自家発電装置もないなか、個体廃棄物貯蔵庫には2万2000本ものドラム缶があり、懐中電燈を頼りに職員は状況把握をしているとか(専門家からの情報です)。
あってはならないことが、いつの間にか起こるはずのないことにすり替わる原発行政のあり方。原発の情報開示がなされない限り、安全性への信頼も生まれないように思います。
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激しく横にシェイクするような地震で、自分の目で見た限りでは、亀裂が走った線上の家屋や少し地震に弱い、古いタイプの家屋が倒壊していました。
私の実家は柏崎市高柳町という所で、海岸から20キロほど内陸に位置しています。地震のあった7月16日は、その実家に泊まっていたのですが、被害はさほどではありませんでした。ただ、柏崎刈羽原発のすぐ近くにの、私が経営しているパソコン教室までの25キロの間だけで、全壊した家屋を10軒は目撃しました。
途中の道路は所々で亀裂が入ったり、マンホール部が盛り上がったり、路肩が50センチくらい下がったり、上下にうねったり、橋との境に段差ができたりと様々で、陥没穴や盛り上がりをよけるために徐行や蛇行しながら、ゆっくり走るしかない状況でした。
特に、荒浜地区は隣近所、家の中がめちゃくちゃで、いつになったら屋内に住むことができるかどうか見当もつかないほどです。
高齢化の進んだ地域だけに、高齢者にとって避難所は環境が悪過ぎます。寝場所が変わると、眠れない高齢の人も多いと想像されます。体育館の床の上でどれだけ眠れるか。
今、必要なものは何といってもライフラインの復旧。30時間の停電の経験からですが、情報はラジオだけだと、なかなか取りにくいものでした。
また水がないと、清潔が生活の基本の日本人にはなかなかつらい。いくら清潔な包装紙にくるまれた食料を渡されても、手が汚れていたり、頭から埃を被っていたりしたあとですと、食べにくいものでした。飲めなくとも、掃除のできる程度の水があれば気分的にもかなり楽でしょう。水洗トイレにも使えますし。
火については、雨と風がしのげるところであれば、卓上コンロでも役立ちます。
電気と情報と水以外に必要なものは、高齢者や病人、乳幼児のケア体制。そして、自立自活する意識と、災害への物的・精神的備えです。
また、市役所周辺の柏崎市の中心街を通って気になったのは、ここにだけ報道陣が多いということ。もうちょっと広い範囲も取材してくれているのかどうか。
2年9カ月前の中越地震も特定の避難所に政治家をはじめとする著名人とボランティアが集中する傾向がありました。特定の避難所は新幹線や高速のICからのアクセスのよいところだったような……。
食料は避難所に必要なだけ届いているかという問題はありそうですが、スーパーやコンビニでかなりの量が売られています。
今回の地震はどれだけの災害になっていくものやら。それはいろんな人たちの支えにかかっていると言っていいでしょう。
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 [記者名] 新潟県 小山雄二
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変わってないJR西日本の体質 奈良市 川島広明 |
JR西日本の株主総会が6月22日、大阪市北区のリーガロイヤルホテルで開かれ、参加した株主1415人の一人として出席した。
まず、山崎正夫社長がJR福知山線脱線事故について謝罪し、株主とともに犠牲者に一分間の黙とうをささげた。質疑応答でも、日勤教育についての質問が相次ぎ、答弁した丸尾和明副社長は「日勤教育には有用性があり、今後中身の統一を図りたい」などと述べるだけだった。
また、昨年10月、犠牲者の後を追って自殺した荒川由起さんについて、事故の遺族が涙ながらに「自殺は遺族として対応してもらえなかったから。JR西日本は荒川さんの遺族に謝罪し、補償すべきだ」と対応を批判した。
それに対して、役員が「自殺は大変残念。被害者の方と事故で亡くなられた方のご遺族には複雑な家庭の事情があった」と述べ、「きめ細かく対応していきたい」と説明しただけで具体的なことにはまったく触れなかった。
JRは加害企業であるのに加害者としての意識にかけているように思えてならない。安全対策をしているとはいうが、社員教育の徹底ばかりで、現場社員に責任を転嫁しているように聞こえた。
今のJR西日本には、官僚体質が抜けているようには思えなかった。経営者の体質は変わっていない。
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被災地の「その後」共有するために 石川県 池森歩 |
4月号を読んでビックリ!能登半島地震について、まさか私の拙い手紙が載ってしまうとは!うずみ火さん、懐が深くていらっしゃる。
それでも、テレビだけでは分からない被災地の様子がお伝えできてよかったです。その後、三重でも大きな地震がありましたよね。石川では全然その後の様子が報じられていません。震度5ですから、三重でも被害を受けて今でも困っている方がいらっしゃるのでは、と心配です。地元の能登はそりゃ大変ですが、自分たちに近いことばかりに気をとられてしまうのも問題だと感じますので。
「その後」こそ大切だと思うので、地域の新聞の地震1ヵ月特集を同封いたします。また、全国紙のPR広告も。
輪島に個人的に「在住外国人」の知り合いがいまして、その方は「情報が日本語によるものばかりで、当初は何もわからず不安・不便だった」というメールを下さいました(メールを送ってくださった方は、かなり日本語ができます。また学習途上の方々に対して「フェイス トゥー フェイス」の支援を続けていらっしゃいます)。
「要援護者」が日本人と限らないのは、輪島のような田舎でも同じです。いえ、田舎だから余計に人材がなく深刻です。阪神大震災では、地域FMが外国語で「くらし情報」を放送していたと聴いていますが、輪島ではハード・ソフトの両面で難しいでしょう。
さて、能登半島地震から1カ月の4月25日は、尼崎のJR脱線事故から2年の日でもありました。報道を比べてみて、違和感を持ったことがありました。
地元紙は「尼崎JR脱線事故」といい、NHKと毎日新聞は「JR福知山線脱線事故」といい、朝日新聞では「宝塚事故」と呼び名がバラバラ。地方紙はどこも共同通信の原稿を使っているようで、お隣の富山の新聞でも「尼崎JR脱線事故」でした。
「あのような事故が二度と起きないように」「犠牲になった方々のことを忘れないために」という大切な使命があるはずなのに、こんな風で共有できるのかしら? 各社のメンツが優先されているような感じがして……。
確か「阪神大震災」のことも、「阪神・淡路大震災」という社があるようですね。私のところでは「阪神大震災」が一般的ですが、淡路島の被害が大きかったことを考えると「阪神・淡路大震災」というのが適切かもしれない、と思います。
それぞれの呼称に理由はあると思いますが、「どれが正しい」とか「どこの社が最初に使った通称だから」といった次元ではなく、みんなで共有できる呼称にすり合わせる努力をなぜしないのでしょう?呼称一つについても、こんな風に業界内の理屈を優先させてばかりだから、国にマスコミ操作のスキを与えているように見えます。
(同封していただいた記事は北陸中日新聞の「『要援護者』の1カ月」という特集でした。私たちも震災の取材を通し、支援体制の隙間からこぼれ落ちる「災害弱者」の存在をたくさん見てきました。教訓はどれほど生かされているでしょうか)
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四季折々の風景大切にしながら 鹿児島県 吉田正子 |
4月7日に集落の花見会が公民館でありました。ほとんど老人会と思われるような高齢者ばかりの集まりですが、ビールや焼酎で乾杯できたことは、健康なればこそと参加できたことに感謝する会でもありました。
敗戦直後は子供だけでも7、8人いる家庭が多くあり、どん底の貧しい生活の中にも、みんな、たくましく生きていましたが、今では1人や2人暮らしの家ばかりで、このままではいずれ人の住まない所になってしまいそうです。
私自身これから先のことは深く考えておりませんが、当分は、昔とちっとも変わらない四季折々の風景と人々の助け合う温かい心を大切に生活して行こうと思います。
鶯が鳴き、奄美を愛した画家田中一村の絵でも知られる美しい鳥アカショウビンの鳴き声も耳にしました。いよいよ季節は初夏の訪れです。
(助け合う心も、すばらしい自然が育んでいるのかもしれませんね。そんな温かな絆が過疎化の波に流されませんように……)
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新聞うずみ火編集部
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